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pallalink-gallery2

pallalink / works 2004

pallalinkというサイトがある。

pallaについて何かを書く。僕が住むアメリカのボストンとpallaの住む大阪とは11時間の時差がある。地球の表と裏。それでも不思議なことに、そのギャップを感じたことはない。ごく普通にパソコンを通してリアルタイムに彼からボストンに届く写真や手紙が昼夜を問わずやってくる。そして僕からの感想文が返信される。時には数分以内にその返信がまたやってくる。そんな往信をかれこれと続けている。

palla とは何者なのか。pallaがウェブマスターをするサイトpallalinkは、世界中のアクセス可能な人びとがリンクしていくサイトだといったらいいだろうか。ここではアクセスしたその人のペースに合わせて写真やコメントが更新される。だからpallalinkを訪問すれば、日ごとに誰かがサイトを更新している。こうして刻々とpallalinkは変化していくのだから、その人たちすべてが実はpallaを構成しているのだと彼は言う。

ところでpalla本人のサイトだけを見るとどうだろうか。ひとまず写真をコミュニケーションの手段として使っていることは間違いない。でもそれは普通の写真家が見せる写真ではない。そこで扱われる内容は建築だったり、建築どうしが絡み合って生まれる都市だったりする。しかしpalla自身は画像を操作することで写真家以上に都市や建築が隠し持つ意味に関心を示す。

そうした不思議なアイデンティティをもつpallaがアート・ギャラリーで展示するのはちょっと皮肉である。そこではpallaの活動が芸術作品とされる。

よくある話だが、芸術作品には芸術の成り立ちそのものや芸術の可能性を内側から批評する形式性といった資質がいつも問われる。それも面白いかもしれない。

ウェブ上の物質感のない世界とちがって、ギャラリーのような実際の空間では作品そのものの素材感、たとえば紙の質がそのままダイレクトに作品の質に跳ね返る。実際のスペースのなかで、ウェブサイトとはどう違った形で見せるのか。

pallaの活動がどうやって生まれたのかを改めて見てみるのは、そうしたものにとらわれない自由な捉え方をもつきっかけになるかもしれないとも思う。

ウェブサイトは時間感も距離感も一掃してしまう。しかし様々なウェブサイトを訪ねれば、想像以上にそれぞれの時間と空間の感覚の違いを同時に感じ取ることが出来る。その気になれば、スターバックスのテラス席でテロリストの処刑シーンが流れるウェブサイトを横目で眺めながら友人に携帯電話で世間話に電話をかけることなど、いとも簡単だ。pallaが発表に使うウェブサイトを通してありそうでありえない特異な場所を浮き彫りにするのは、そうした生活の中に介在する両義的な感覚と通じるものがある。

pallaがウェブサイトに写真を投稿し始めたのは2002年5月頃だった。この頃の写真には現在のような映像に何か歪みを与えたりするような操作は見当たらない。むしろどんな光景を発見したのかに関心が寄せられている。その多くは彼が徘徊する大阪の街をカメラという別の視点を通して拾い上げた特異な何かを拾い上げている。もともと、少年期を大阪の西九条に育った彼にとっては自身が感じるリアリティが何かをごく個人的に無意識に探っていたのかもしれない。だがその後、ウェブサイトを通して大きな変化をしていく。

ウェブサイトに写真や文章を掲載するということは、ある意味でそれを公開し他人と共有するということである。彼のウェブサイトを通してその写真にもいろいろな試みが見られるようになる。なかでもPhotoshopを使って画像に歪みや切れ目を入れた画像が徐々にコメントを集めるようになっている。寄せられたコメントには彼が無意識に捕らえたシーンが何であるのかを彼に変わって代弁している。それを別の訪問者がコメントする。こうしたやり取りに介在し、ときには自己の意図を説明するにつれて、彼は自分の意図を客観的に捉えることができ、次のステップを模索していったふしがある。

こうした映像の歪みや切断のコメントを通して、彼が意識的になったのは、現実と非現実の境界線上にある意識の表出である。歪められた映像にはその場所独特の何かを抽出したもうひとつのリアリティがある。ある映像を鏡像にしてその境界線を消失してしまうことで、見慣れた風景は見たこともない光景に接続される。

現実と非現実の判別がつかないけれども、たしかに我々が何かそこに在るとリアリティを感じる何かがそこにある。今にも崩れ落ちそうな不安定な鏡像。宙に浮遊したヴァーチャルなオブジェを作り上げるには、映像の操作上であいまいな領域を影と光に類別する作業が必要になる。そのため彼の映像は徐々にコントラストが強く、図像的な性格に傾倒していく。こうして曼荼羅のようなきわめて宗教性の強い図像学の秘密にそっと触れる。これは偶然だが彼が何をしてきたのかを知る重要な発見だった。世界には見えない秩序が介在していることを映像の操作を通して発見したという。しかし同時にこうした抽象性は、どの映像を撮っても同じような抽象的な映像に帰するというパラドクスをもつ。そうした強度な抽象性は、逆説的に彼が捕らえた場のリアリティもまた抽象的なものにしかねなかった。

そうした試行錯誤を繰り返すうちに、またもpallaに新しい啓示を発見しそれを告げたのもサイトのコミュニケーションがきっかけだったかもしれない。図像学の原理に還元するのでなく、原理から放散されダイナミズムからもうひとつの現実、つまり日常のまなざしから開放された野生のオブジェクトを生み出すこと。そこには我々が都市に興奮し魅惑される何かがある。振り返れば、それ以後彼の映像は高度に抽象的な図像から、もうひとつの日常、つまりある種のパラレルワールドを探っていく方向にシフトしていった。メビウスの環のように日常見慣れた風景が彼の操作を通してゆっくりと異質な日常に変貌していく。それは何か最終的な画像の完成イメージをあらかじめ決めておいて、直線的にそれに向かっていくという方法とは逆の方法をたどる。つまり、何か向こう側に何かがあると感じるのだが、そのもうひとつの世界が何であるのかを、一つ一つの操作を加えながら探り続けていくのである。言い換えるとそれは人間の意識のなかの空間の体験を一連の操作を通してあぶりだすことである。こうして日常に飼いならされた感覚を通して見るこの空間と、意識の中に生まれる空間は実際どう違うかということを脳内世界-認知空間のモデリングを通して垣間見せる。

ところでもともと、pallaとはサイトを開くにあたって、たまたま机の脇にあった建築作品集、イタリアのルネサンス期の建築家Palladioのイニシャルを拝借して生まれた名である。しかしそれは偶然とも言い切れない。Palladioは建築家という職能を確立し、そのスタイルが規範として増幅されることで西欧の都市風景を変化させていく。画家ジョバンニ・カナレットが絵画”Capriccio”でベニスの運河に沿って実際には存在しないはずのパラディオの建築作品を滑り込ませ、都市に自身の夢想を紡いでいったように。pallaの写真は日常の都市を視る我々の意識にもうひとつの世界を垣間見せる。しかしこの絵画に描かれた理想郷を今、私たちは描くすべを知らない。時間も場所も流動的に変化するダイナミズムの背後に潜む何か、瞬間と瞬間の隙間にかすかに見て取れる何かを捕らえることで私たちは、この都市の意志に触れることができるかもしれない。それがたとえ怪物だとしても。

Miya / http://miya.pallanoia.org/

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